南中野地区の歴史

 

私たちの町は、江戸期から明治中期までは「雑色」と呼ばれていました。町を流れる神田川は江戸初期に造られた日本最初の水道である神田上水と呼ばれ、江戸の街へ飲料水を供給していました。しかし、明治33年に淀橋浄水場ができたので飲用を廃止しました。神田川は川幅も狭く大雨が降ると氾濫し、台風は広範囲に水害をもたらし、町は多大な被害を受けていました。

 

昭和35年に区画整理等が始まり、護岸工事や上下水道の普及、荻窪線の開通、昭和39年の東京オリンピックに合わせた道路の整備が順調に進み、安心で便利な町に変貌しました。

〔 引用:書籍「南中野の昔」・著者:立石 昌 〕